子や孫に任せてうれし墓参り 聖 |
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2016年 01月 06日
ゆとるりの立場をすこしだけおいておいて空手の動画をshare観させていただいた感想です。ですから、他の武道を云々するつもりはないのですから誤解のないよう。 El All Japan Torneo de Masters de la JKA Japón. El 6 de diciembre de 2014 https://www.facebook.com/jorgefloresvergaray/videos/928228447207051/ まず男女、そして印象的には年配者が見事な構えや動きをしているので、見ているだけでも息をつまらせてしまうほどの迫力を感じます。構えだけならまだしも、組み手乱取り。寸止めなのかもしれないがけっこう突いたり蹴ったり。審判もいらっしゃるので競技なのでしょう。どちらかが勝ったり、また負けたりしているのでしょうね。其々の表情をみるとさまざまですが、一様に怖い!と感じてしまう。なかなかの迫力です。 physical的には、速く動いたり鋭く突いたり蹴ったりを出来る心臓は悲鳴を上げることにならないのかと感じながら、でもみなさんよく動いていますね。無理をしていないのならいいのでしょう。 mental的には、あくまで空手だったら空手の中での攻める攻撃されるでしょうから相互に許されている攻防なのでしょうね。攻守意に反して偶然にヒットしてしまうようなことで勝敗が決されてしまう事はありませんか。だとすると強いのはどっちなのでしょうね。 理合い的には、詳しくは言及しませんが「火花」を散らしているようなぶつかり合いが多く見られて。実社会でこんな火花はやっぱりあるのでしょうね。でもこんなにストレートには動けません。さてどう動くか、答えを探せるといいですね。 武道として、価値観はそれぞれ。できたら少しでも長く続けられる武道だといいなと思っています。だとするとこの迫力は進化とか変化していくのでしょうね。その姿を拝見出来るのを期待しています。 60を過ぎると、殴った分力んだ分自分の身体が壊れるものと自覚しています。息が上がって血圧も上がります。アキレスけんも切れるでしょう。口は動いても身体が動きません。これは自己診断ですのであしからず。 ゆとるりにはやはり合気道が向いていますね。そんな意味で「社会実践合気道」をとらえてたのしく過ごさせていただいています。 ■
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by seiyamas
| 2016-01-06 09:14
| ゆとるり
2015年 10月 12日
日本の精神的土壌を武士道と捉えて、西洋に向けて新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の教育者・思想家。)がひもといている。 Bushido: The Soul of Japan
定例読書会in東久留米 今回は10章 「武士の教育および訓練」でした
「武士はくわねど高楊枝」とまで言ってはいないが、美的なたしなみが教育上重要であり守るべきは品性つまりpersonalityをつくりあげることだと。そのためには金銭は無視せよとまで。訓練と言っている辺りは、そうは言っても金は必要なので、できる限り武士であれと励みそして武士らしくなるように社会実践を続けることになるのだろう。 世にはお坊さんや教師のように、金銭や数値では表現評価できなくてなお大切な仕事があるだろうと例えている。戒名や読経がいくらとか教師の時給がいくらとかという話とは程遠い存在があって、その権化が武士のあり様だと言っているようだ。
たしかに今の世相を想像してみると、お寺にしても学校の教育にしてもこれらの変化を新先人は予見していたのだろうか。政治の世界でも金、なんと美術の世界でも金換算の時代ではないだろうかと思はされる。
さて、月一の読書会で話題にしていることは「がん哲学」をkeywordにして樋野興夫のお話をお聞きすることが主である。そして繰り返して出てくるのが新渡戸稲造の思想価値観人生観で、ゆったりとした時間を共有することができる。 たぶん樋野氏も新渡戸稲造も武道が何たるやではなくて武士がかつて矜持として示してきた精神的なあり様に、いまを生きる我々が見失いかけている視点や行動原理の再提示をされているように感じる。
どちらかというと女性が多いように思うのだがここに集う者は様々で、でも関心事は「がん」と向き合っての自分のありようを手探りしている。そんな方が多い。これに対して樋野氏はゆったりと淡々と、また確信を抱きながらもひょうひょうと持論と感慨と夢を語って毎回のこの読書会が進められている。月一でおよそ7年。繰り返して読み講じられるのは、同じ本をすでに3回目だとか。
わからなくてもいいが許される、そんな時間が過ごせるという雰囲気がここにはあって、これが女性や「がん」に心を疲弊している方たちの気持ちをこの読書会に繋げて来たのではないだろうかと思っている。(合気道に通じる。) 2015.10.11 ![]() 「武士道 第10章」 ■
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by seiyamas
| 2015-10-12 11:06
| ゆとるり
2015年 09月 04日
関西 修行旅
実践合気道のぶらり旅は2015年8月17日(月)の深夜出発 8月27日(木)に戻りました。 京都は寺町通りや祇園四条、清水寺をめぐりました。 知恩院には2日間も足を運びました。 大阪茨木市では山寺の乗雲寺さんにお世話になって、ビールを飲んだり坐禅をしたり。 あいにく雨が降り出しても本堂の縁側から外を眺めて瞑想の時を過ごしました。 島並海道?淡路島を経由して香川県 高松市街では長いアーケードをぶらり散歩して高松三越を見学。 市内の讃岐うどんをたのしんで四国を縦断100キロしました。 そこは高知 坂本龍馬の桂浜を散策して、市内のビジネスホテル”ホテルセブン”に宿を取りました。 夜は地元の酒盛りエリア”ひろめ市場” 昼から酒盛りが出来るというたのしいところ。 締めは地元のスナックでカラオケも楽しみました。 高知の合気道稽古は”南国合気道クラブ”で指導稽古をしました。 ”気”の話は封印して臨みましたが竹邑さんに所望されて少しだけ披露。 後で聞けばさっぱり分からなかったようでした。 お世辞で感想はありましたが、”気の世界”を感じてはいても理解はないようです。 静岡県は東伊豆の伊東で最後の数日を過ごしました。 ゆとるり合気道 聖
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by seiyamas
| 2015-09-04 18:50
| ゆとるり
2015年 08月 17日
実践ゆとるり合気道の旅 はじまります20150817 意外に思われるかもしれないが。 合気道は大正から昭和の初め、和歌山県田辺出身植芝盛平がつくり上げた新しい武道。 特徴は老若男女だれでも、そしていくつになっても稽古できるところで。 具体的には2貫、およそ8Kgの基礎力があれば技がかけられる。 そして受け身がとれる事を目安に、仕手受け双方たのしくかつしっかり稽古を重ねれば合気道を極める事が出来る。だれでも。 「実践」とは、独りよがりの武術ではなくて、社会とのかかわりの中で「真の合気道の考え方を活用」することをいい、「ゆろるり」はその答えの key word です。 打突系のあまたの武道と合気道の差異はあきらかで、極意は存在するが基本的に試合はなく、結果、敗者勝者をつくらない。それゆえ逆に、ある意味厳しい武道かもしれない。このあたりがわかるようになるとゆとるり合気道、おもしろくなる。・・・・・ さて、今日は朝から雨が降っていただき?少しは涼しくなるのだろうか。 関西に向けて、実践合気道のゆとるり旅にでます。 ありがたいことに現代モータリゼーション。むかしの修行者のように徒歩で全国を徒歩でというようなことはしないで済む。 ガソリンで走る車で出かけられるので、今回はこの関東大宮宿を出て久々の関西、四国、山陽と広範囲を予定している。 まずは京都をめざして、ゆとるり。はじまります。 ゆロるり合気道 山崎聖一 ■
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by seiyamas
| 2015-08-17 06:13
| ゆとるり
2015年 07月 30日
おいしいもの、 食べたい! は禁句。のようだ。 まず、ごく身近なかつ料理については専門のひとに何気なく、この「おいしいもの食べたい」と。 あるとき言ってみたら、なにを取り違えてしまったのかへそを曲げられた。 それで、一般には言及しない方がいい表現なのかなと思い知らされる。いや自己分析をかねてつぶやいたのが失敗だったようだ。 でもよく考えると、本当にそうなのかなといまひとつすっきりしない想いでいるというのが正直なところで。 意図しているところはもっとたのしい事を伝えたかったわけで、その意味でこちらの想いが伝わっていかないことに不自然さを感じ、伝わるであろうが相手に対してこちら勝手の望みつまり「高望み」であったのかなと自問するのです。 拡げて考えれば、日々の積み重ねが人生というのであるならその人生の折り折りに触れて「たのしい思い」がしたい!と思うのです。 たのしいはあくまでキーワードであり、なにがたのしいかの個別の列記にはいまはしないでおきます。 たとえば、1日になぜか3回のあるいは2回の食事である。人の欲にはいくつかあるようでその中の大事な欲のひとつが食べるという行為。それがカロリーとか栄養素摂取とかの話でなくて、腹が減り食事をすれば満足しそれ以上のなにかを心に刻んでいる。はずでありますと思うのです。 その記憶は正確にいえば多くは忘却の彼方にというのが普通、で毎回「感動・満足。充実・至高」というわけではないことは承知しています。 人生で、さすがに1日に何回とか、はたまた一回の食事というありきたりのこととか、もしくは人によってはなんと食事そのものが苦痛!と思う人を、思い浮かべてしまうのです。 いまの私はそこまではいきませんが、ふと「食事にあたりまえの幸せ」なるものを感じた時、いや違うという自分がいるのです。 ![]() 私に関わりのある人とのつながりなかで、日々の食事に折りに触れて「たのしみの自覚」を共有したいなと。 いつかまた別の稿で、「おいしい」を考えてみる事にします。 ゆとるり合気道 聖 *********************** いま、「がん哲学外来カフェ」や「がん哲学読書会」で、少しずつhintをいただいている。 こんなことにと躍起になっているひとはいないと思いつつ。 ゆとるり合気道 聖 20150710 ■
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by seiyamas
| 2015-07-30 15:15
2015年 06月 30日
おかげさまで開店一周年です。 7月7日(火) 営業 19:00~ お待ちしています。 北浦和画廊Bar a-house(えーはうす) ひとりでも気楽にご来店いただけます HP ahouse http://galleryandlivemusic.wix.com/a-house ■
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by seiyamas
| 2015-06-30 06:14
2015年 05月 13日
まだ迷っていた3月
もう、はやいもので。いま、がん哲学外来カフェというユニークな支援運動ボランティアのスタッフになっています。 とはいえまだなにをしているかもよくわからずの状態なので、とにかく、どんなものかいろいろと良かれと思う学習をしています。 セミナー(パネルディスカッション)があるといえば、お茶の水までいってスヴェンソンさん資生堂さん協賛の内容の濃い話をうかがいに。 読書会があると聞けば、新秋津に武蔵野線から西部新宿線を乗り継いで7年からの歴史のある10めいそこそこ少人数の会で内村鑑三・新渡戸稲造に関係する人生勉強をしたり。 先日5月10日(日)はがん哲学外来創設提唱者の樋野興夫氏の記念講演だったりして。 まだこれがという手ごたえは正直ないのですが、期待はできる状態です。 手応えとは、がんを前提の人生観にしっかり答えるだけの自分がまだいないという事。 期待とは、ひとりではなく少なくともがんに関心を持って集う方々に月一回お会いできるという事です。 要は、最終的には自分自身のことなので良くも悪くも充実しています。 反面、ふと不安を感じることも。 こんなんでいいのだろうか? まだ迷っているのか。 いや、とりあえずいまのところやるべきこことはいまここにあるようです。
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by seiyamas
| 2015-05-13 10:31
2015年 03月 12日
迷ったらやってみる、が信条! 決めかねていた「がん患者さんと対話」ボランティア。 会の代表Mさんから昨日参加していいという旨のメールの返事がきた。 迷っていたわけではないが内心、受け入れてもらえないようなら諦めようかと。 確かに、心配ごとはいくつかある。 決めたからにはやることに。 いまは今度の日曜日(3/15 sun)9:00~、笑顔で出向いていく覚悟はできた。 とりあえずの課題は、「カウンセリングマインド」。 聴くことに徹する=「傾聴」をどこまで実践できるかだ。 これがなかなか、むずかしい。 とりわけ、じぶんにとって!
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by seiyamas
| 2015-03-12 07:12
2015年 03月 02日
参加させてもらおうか。
月に一回活動があり、がん患者さん達とサロンで対話をさせて頂くボランティアをお受けするのかどうか。 前回参加させていただいて、それはオブザーブ参加でした。 代表リーダーは40代、がん医療施設の専門ナースさんと10数名の男女スタッフで運営されている。 集まるのは20余名のがん患者さんがほとんど。患者さん家族関係者も含まれる。 なにを考えて迷うのかといえば。 「お手伝いする資格があるのかな」と自問している。 スタッフの数人はすでにがん患者で会って今は一応乗り越えた人で「サバイバー」と自ら称していた。 スタッフはだれも笑顔で明るく積極的に自発的に行動して20代30代40代と、幾人かは50代かと。 明確なスタッフの参加資格などは無いのですが、かえって参加しないかのお誘いも代表リーダーからいただいている。 けれど、60代の男ががんを体験しているわけでもなく。いまある会の活動を邪魔してしまわないかと心配しているわけだ。 もう少しだけ時間をかけて考えてみようと思っている。今月は15日(日)で、時間はある、と思っている。 ■
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by seiyamas
| 2015-03-02 16:15
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