子や孫に任せてうれし墓参り 聖 |
by seiyamas 記事ランキング
以前の記事
2017年 09月 2016年 01月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 02月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 最新の記事
タグ
検索
ファン
外部リンク
カテゴリ
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
2016年 01月 06日
ゆとるりの立場をすこしだけおいておいて空手の動画をshare観させていただいた感想です。ですから、他の武道を云々するつもりはないのですから誤解のないよう。 El All Japan Torneo de Masters de la JKA Japón. El 6 de diciembre de 2014 https://www.facebook.com/jorgefloresvergaray/videos/928228447207051/ まず男女、そして印象的には年配者が見事な構えや動きをしているので、見ているだけでも息をつまらせてしまうほどの迫力を感じます。構えだけならまだしも、組み手乱取り。寸止めなのかもしれないがけっこう突いたり蹴ったり。審判もいらっしゃるので競技なのでしょう。どちらかが勝ったり、また負けたりしているのでしょうね。其々の表情をみるとさまざまですが、一様に怖い!と感じてしまう。なかなかの迫力です。 physical的には、速く動いたり鋭く突いたり蹴ったりを出来る心臓は悲鳴を上げることにならないのかと感じながら、でもみなさんよく動いていますね。無理をしていないのならいいのでしょう。 mental的には、あくまで空手だったら空手の中での攻める攻撃されるでしょうから相互に許されている攻防なのでしょうね。攻守意に反して偶然にヒットしてしまうようなことで勝敗が決されてしまう事はありませんか。だとすると強いのはどっちなのでしょうね。 理合い的には、詳しくは言及しませんが「火花」を散らしているようなぶつかり合いが多く見られて。実社会でこんな火花はやっぱりあるのでしょうね。でもこんなにストレートには動けません。さてどう動くか、答えを探せるといいですね。 武道として、価値観はそれぞれ。できたら少しでも長く続けられる武道だといいなと思っています。だとするとこの迫力は進化とか変化していくのでしょうね。その姿を拝見出来るのを期待しています。 60を過ぎると、殴った分力んだ分自分の身体が壊れるものと自覚しています。息が上がって血圧も上がります。アキレスけんも切れるでしょう。口は動いても身体が動きません。これは自己診断ですのであしからず。 ゆとるりにはやはり合気道が向いていますね。そんな意味で「社会実践合気道」をとらえてたのしく過ごさせていただいています。 #
by seiyamas
| 2016-01-06 09:14
| ゆとるり
2015年 10月 12日
日本の精神的土壌を武士道と捉えて、西洋に向けて新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の教育者・思想家。)がひもといている。 Bushido: The Soul of Japan
定例読書会in東久留米 今回は10章 「武士の教育および訓練」でした
「武士はくわねど高楊枝」とまで言ってはいないが、美的なたしなみが教育上重要であり守るべきは品性つまりpersonalityをつくりあげることだと。そのためには金銭は無視せよとまで。訓練と言っている辺りは、そうは言っても金は必要なので、できる限り武士であれと励みそして武士らしくなるように社会実践を続けることになるのだろう。 世にはお坊さんや教師のように、金銭や数値では表現評価できなくてなお大切な仕事があるだろうと例えている。戒名や読経がいくらとか教師の時給がいくらとかという話とは程遠い存在があって、その権化が武士のあり様だと言っているようだ。
たしかに今の世相を想像してみると、お寺にしても学校の教育にしてもこれらの変化を新先人は予見していたのだろうか。政治の世界でも金、なんと美術の世界でも金換算の時代ではないだろうかと思はされる。
さて、月一の読書会で話題にしていることは「がん哲学」をkeywordにして樋野興夫のお話をお聞きすることが主である。そして繰り返して出てくるのが新渡戸稲造の思想価値観人生観で、ゆったりとした時間を共有することができる。 たぶん樋野氏も新渡戸稲造も武道が何たるやではなくて武士がかつて矜持として示してきた精神的なあり様に、いまを生きる我々が見失いかけている視点や行動原理の再提示をされているように感じる。
どちらかというと女性が多いように思うのだがここに集う者は様々で、でも関心事は「がん」と向き合っての自分のありようを手探りしている。そんな方が多い。これに対して樋野氏はゆったりと淡々と、また確信を抱きながらもひょうひょうと持論と感慨と夢を語って毎回のこの読書会が進められている。月一でおよそ7年。繰り返して読み講じられるのは、同じ本をすでに3回目だとか。
わからなくてもいいが許される、そんな時間が過ごせるという雰囲気がここにはあって、これが女性や「がん」に心を疲弊している方たちの気持ちをこの読書会に繋げて来たのではないだろうかと思っている。(合気道に通じる。) 2015.10.11 「武士道 第10章」 #
by seiyamas
| 2015-10-12 11:06
| ゆとるり
2015年 09月 04日
関西 修行旅
実践合気道のぶらり旅は2015年8月17日(月)の深夜出発 8月27日(木)に戻りました。 京都は寺町通りや祇園四条、清水寺をめぐりました。 知恩院には2日間も足を運びました。 大阪茨木市では山寺の乗雲寺さんにお世話になって、ビールを飲んだり坐禅をしたり。 あいにく雨が降り出しても本堂の縁側から外を眺めて瞑想の時を過ごしました。 島並海道?淡路島を経由して香川県 高松市街では長いアーケードをぶらり散歩して高松三越を見学。 市内の讃岐うどんをたのしんで四国を縦断100キロしました。 そこは高知 坂本龍馬の桂浜を散策して、市内のビジネスホテル”ホテルセブン”に宿を取りました。 夜は地元の酒盛りエリア”ひろめ市場” 昼から酒盛りが出来るというたのしいところ。 締めは地元のスナックでカラオケも楽しみました。 高知の合気道稽古は”南国合気道クラブ”で指導稽古をしました。 ”気”の話は封印して臨みましたが竹邑さんに所望されて少しだけ披露。 後で聞けばさっぱり分からなかったようでした。 お世辞で感想はありましたが、”気の世界”を感じてはいても理解はないようです。 静岡県は東伊豆の伊東で最後の数日を過ごしました。 ゆとるり合気道 聖
#
by seiyamas
| 2015-09-04 18:50
| ゆとるり
2015年 08月 17日
実践ゆとるり合気道の旅 はじまります20150817 意外に思われるかもしれないが。 合気道は大正から昭和の初め、和歌山県田辺出身植芝盛平がつくり上げた新しい武道。 特徴は老若男女だれでも、そしていくつになっても稽古できるところで。 具体的には2貫、およそ8Kgの基礎力があれば技がかけられる。 そして受け身がとれる事を目安に、仕手受け双方たのしくかつしっかり稽古を重ねれば合気道を極める事が出来る。だれでも。 「実践」とは、独りよがりの武術ではなくて、社会とのかかわりの中で「真の合気道の考え方を活用」することをいい、「ゆろるり」はその答えの key word です。 打突系のあまたの武道と合気道の差異はあきらかで、極意は存在するが基本的に試合はなく、結果、敗者勝者をつくらない。それゆえ逆に、ある意味厳しい武道かもしれない。このあたりがわかるようになるとゆとるり合気道、おもしろくなる。・・・・・ さて、今日は朝から雨が降っていただき?少しは涼しくなるのだろうか。 関西に向けて、実践合気道のゆとるり旅にでます。 ありがたいことに現代モータリゼーション。むかしの修行者のように徒歩で全国を徒歩でというようなことはしないで済む。 ガソリンで走る車で出かけられるので、今回はこの関東大宮宿を出て久々の関西、四国、山陽と広範囲を予定している。 まずは京都をめざして、ゆとるり。はじまります。 ゆロるり合気道 山崎聖一 #
by seiyamas
| 2015-08-17 06:13
| ゆとるり
|
ファン申請 |
||